ミライリポート ~SDGs企業に学ぶ~
紫香楽教材粘土株式会社 代表取締役 青木 雅幸 氏
生成AIのおどろき
昨年の今頃、われわれの多くはまだ、それについてほとんど知らなかったし、それが社会にこれほど影響をあたえることになるとは、想像もしていなかった。「生成的人工知能」、いわゆる「生成AI」のことである。
特に昨年11月に公開されたAIチャットボット「チャットGPT」は、世界中の人々の間で「すごいものができたらしい」とたちまち噂になるのと同時に、それを使ってみたという報告が、驚きや興奮とともにSNS上にあふれた。事実、そのユーザーが世界中で1億人を超えるのにかかった期間はわずか2か月ほど。普及の速さはこれまでに多くのユーザーを獲得してきたどのネット上のサービスをも圧倒して、史上最速だったそうだ。
われわれからの要求に対するそれ――と呼ぶべきか、むしろ「彼」「彼女」とでもよびたくなるようなAIチャットボットの応答の水準の高さには目を見張るものがある。情報の正確さやその管理、あるいは知的財産権の保護といった面での課題やリスクを指摘する声もあるが、いずれにせよ、刻一刻と進化し学習を続ける「彼ら」が、今後、人類社会の中に、さまざまな形で浸透していくのは間違いない。
問いが問われる時代
わがフィールドである教育界にもその影響は及んでおり、「彼ら」の力をどのように受け止め、どこまで受け容れ、どうやって使いこなすかについて議論が進行中である。学生たちが、「彼ら」をつかってレポートをつくり、提出してきたらどうするか。悩ましい問題であるが、一方で、はっきりしていることもある。学生たちは「彼ら」に正しい「答え」を求め、「彼ら」を使って「答え」をさがすわけだ
が、「彼ら」のほうで学生たちに求めてくるのは「よき問い」あるいは「創造的な問い」である。つまり生成的人工知能を相手にして、われわれ人類に問われているのは「問う力」である。それは結局、教
育が目的としてきた力とおなじなのである。
今後学校では、「答え」よりもむしろ「問い」や「問う行為」を問い、より評価するようになっていくかもしれない。「読み書きそろばん」の力が「彼ら」に取って代わられるかもしれない未来が現実のものとなった今、あらためて、「知性とは何か」「創造性とは何か」、すなわち「人間とは何か」を問い直すことから、教育のありかたをつくりかえていかなければならないのではないだろうか――。
紫香楽教材粘土株式会社を訪問したのは、ちょうどそんなことを考えていた矢先であった。
(写真)青木雅幸氏。「じつはバリバリの文系です。理系の人なら A+B=C という形で粘土の “ レシピ ” も理路整然とできるのでしょうが、その点私は遠回りしてきたかもしれません。でもその分、取引先からいろいろ提案してもらい、教えてもらい、そういうめぐりあわせのおかげでやってこれたんだと思います。子供の数も減っていく中、教材だけでなく、新たな可能性も開拓したいと思っています」。
焼き物のまちで
紫香楽教材粘土株式会社は、その社名があらわすとおり、古代宮都が営まれた歴史深い甲賀市信楽(紫香楽)の地で、50年近くにわたって学校教材粘土をはじめとする学校教育資材の製造を続けてきた。いうまでもなく信楽は焼き物のまち。およそ400万年前に伊賀上野あたりで生まれた湖が移動する過程で形成された古琵琶湖層をはじめとする地質学的条件によって良質な粘土が産出されたことも、このまちをして日本の代表的焼き物産地に押し上げた要因であった。
そのような歴史の文脈に根差して、同社も設立当初は焼き物用の土粘土を扱っていたが、現在の主力は「焼かない粘土」、それも超軽量の粘土である。
夏休みの味方
読者諸氏にも心当たりがあるはずだ。郵便局主催の「貯金箱コンクール」。じつに48回を数えて現在も続けられているが、このイベントで、全国の子供たちの想像力を掻き立て、その創作意欲に応えて、さまざまなアイデアを実現することを可能にしてきたのが、同社が当時全国に先駆けて開発した軽量粘土なのである。
「初期の頃のシェアは6割から7割近くあったのではないかと思います。ものすごく忙しかった。フルに稼働して、ひと月50万個製造しても追いつかないくらいでした」と代表取締役の青木雅幸氏は振り返る。
OEMのため同社の名前が表に出ることはめったにないが、読者諸氏あるいはそのお子たちは、学校の図画工作や美術の時間、あるいは夏休みの宿題など、子供時代のどこかできっと、同社の軽量粘土に触れているに違いない。かく言う私もその一人である。当時、芯材と軽量粘土からなる創作キットはまさに「夏休みの味方」であった。
食べても良いほど安全に
現在ではあたりまえになった軽量粘土であるが、それをはじめて使った時の思いがけない軽さはちょっと感動的であった。なめらかでいてコシも強く、芯材を使ってもひび割れしにくい。絵具を混ぜたり塗ったりして、着色も自在。従来の土粘土にもまた固有の良さがあるが、使用のしやすさに加えて、運搬等での扱いやすさ、後々の処分のしやすさにおいて、最大のユーザー、すなわち子どもたちのニーズにかなった商品と言える。
子どもたちの目線に立つということは、扱いやすいだけでなく、安心安全でなければならないということである。
「極端な話、食べても問題ないようなものを作らなければならないと考えています」と青木氏。「粘土は水を使う素材です。ということは、カビが生えやすいという課題がある。そこで防腐・防カビ剤を混ぜることになるのですが、当社ではアメリカにおける画材の安全基準に沿って、きわめて薄い薬剤量で「レアに近いもの」を製造しています」
いわば「生もの」に近い粘土であって、それだけに手間もコストもかかるが、同社は独自により厳しい基準を守り続ける。それを使う子どものことを考えた「つくる責任」を、メーカーとして自覚しているからだろう。
土に還る「三方よし」の教材粘土
そんな同社が現在新たに開発に取り組んでいるのが、食品残渣等を原材料にした「土に還る粘土」である。
発端は、コーヒーチェーン店とのコラボによる「香り豊かなコーヒー粘土」である。コーヒー豆を粉砕する際に大量に発生し、そのまま廃棄されていた薄皮と微粉(チャフという)を混ぜた粘土を開発し
た ところ、「創作しながら環境問題やSDGsを 学 べる教材だ」として、マスコミからも注目を集め
た。だがこのコーヒー粘土は土に還すことはできない。「ここまでできたのなら、循環を完結させられないか」ということで研究を進め、国産ヒノキの間伐材、コルク、石粉をそれぞれ活用し、原料ごと
に手触りや重さ、色はもちろん、香りも異なる「土に還る粘土」を開発。五感を刺激しながら創造性を育て、しかも、素材の物語を通して環境・経済・社会そして地球について学ぶこともできる「三方よ
し」の教材だ。
その後も、「これを使えないか」ということで、連携する事業者から食品残渣、とくに野菜由来の原料が続々提案・提供されて、現在までに、ブロッコリー、茶殻、パプリカ、ネギ、トマトの葉…等、いろいろな食物由来原料を使った粘土の開発を進めているという。また別の企業連携によって、衣料品から生まれた炭を使った粘土もつくった。
「例えば、いろいろな食品残渣のパウダーを使って、17色セットのSDGs粘土というのはどう
だろう!」「土に還るのだから園芸苗のポットにも使えるのでは?」「炭の粘土で自分の足をかたどったシューキーパーはできないか。脱臭効果も期待できる」「紫香楽の名前にちなんで香りをいかしたシリーズは?」……同社の粘土を手にとりながら、われらはしばし、取材も忘れてそのアイデアを出し合った。
土のかたまりに過ぎないと言えば言える粘土をひとつ前にするだけで、人間の創造性や創作意欲はかくも触発されるのである。
コロナ禍を経て、来るべき「AI時代」にこそ
ところで、すぐれた品質により子供たちや教育現場の信頼を得てきた同社の軽量粘土だが、コロナ禍によって大きな打撃をこうむった。休校になってしまえば、当然需要が消滅する。ところが、その窮地を救ったのは、同じコロナ禍の中で生じた「巣ごもり需要」であったという。皮肉な出来事のようだが、このエピソードは、人間がどんなときにも創造し創作せずにはいられない生き物であるということを物語っている。
コロナ禍が終息に向かい、学校・授業が平常に戻るのに合わせて、同社では、教材粘土の需要も回復するものと期待していたそうだが、じつはそうなっていない。コロナによって奪われた学習時間を取り戻すにあたり、どうしても「読み書きそろばん」が優先されて「図画工作」の時間は削られ、あるいは後回しになるためだ。
ほんとにそれでいいのかナ、と思うが、それも間もなくひっくり返るかもしれない。すぐそこまできたAI時代、「図画工作」が復権する日は近い。どんな優れたAIが出現しようとも、人間は、創造し、創作すること、そのよろこびを手放すことはないだろうから。大昔から親しんだ、粘土遊びの楽しさを、みすみす「彼ら」に明け渡すとは思えないから。
企業データ
本社:〒529-1836
滋賀県甲賀市信楽町柞原886
設立:1977年
従業員:8名
事業内容:教材用・手芸用の粘土を製造販売