日本茶の技術と伝統を継承しつつ
柔軟な発想で新たな商品開発に取り組む
丸安茶業 株式会社/代表取締役 前野 安司 氏
明治5年創業、関東方面や満州にも進出
およそ1200年前に伝教大師最澄が唐から茶の種を持ち帰り、比叡山麓に植えたと伝えられていますが、栽培に適した気候の土山や朝宮でも古くから茶の栽培が行われ、江戸時代には東海道土山宿の名物として茶が販売されていました。
明治5年、初代・前野安吉氏が旧東海道沿いで創業した丸安茶業は、明治になって庶民にもお茶を飲む習慣が広がり始めると、関東方面の問屋にも販路を広げることに努めました。当時は良質の茶の産地が少なかったこともあり、近江茶は「香り朝宮、味政所」と称され、今も五大銘茶の一つに数えられています。
昭和4年に2代目・前野安吉氏が満洲に支店を開設して、順調に売り上げを伸ばしましたが、太平洋戦争敗戦により撤退しました。昭和25年に法人組織に改組、39年に社屋を国道1号線沿いの現在地に移転したことをきっかけに、収穫した茶葉を蒸して揉みながら乾燥させる荒茶製造工場を新設、1次加工と2次加工を一貫して行えるようになりました。
また、もっと美味しい茶葉が栽培できるようにと、パイロット事業で集団茶園を開設して生産者に育て方の指導を行うこともありました。
昭和46年に仕上げ工場を新設、この頃から生産者から荒茶を仕入れて、仕上げの2次加工だけを行って小売店に卸売することが多くなり、レシピを預かって小売店の要望に合うお茶の焙煎を行い、それぞれの味を守る役割も担ってきました。
緑茶飲料が普及して家庭で淹れるリーフ茶が減少
平成19年に代表取締役に就任した前野安司社長は、昭和57年に丸安茶業に入社。作ったら売れる高度成長期が終わり、「このままのやり方ではいずれダメになる」という危機感から、「設備を充実させて顧客のニーズにきめ細かに応えていくことが必要と考えるようになった」と語ります。平成3年に新社屋を建設、加工設備の充実を図るほか、近江茶の知名度アップにも取り組んできました。
平成2年に大手メーカーからペットボトル緑茶飲料が発売され、その後市場は急速に拡大、需要の伸びに合わせて茶葉の価格は平成16年まで上昇したものの、その後の需要の停滞により低下傾向で推移しています。
また、急須で淹れて飲むお茶の需要が減少し続けていることや、生産農家だけでなく、お茶の小売業者さんも高齢化して卸先も減っていることなど、業界の環境は厳しさを増しています。
そんななか、安司社長は海外で販路を開拓する足がかりにしたいと、平成26年8月に香港で170業者が参加して開催された『香港フードエキスポ』に出展したところ、「香港国際茶展」の緑茶部門で本場中国を抑えて金賞を受賞、以後、国内外のコンテストでも入賞するなど高い評価を得るようになりました。
ターゲットを絞った商品提案など、アテンド型へシフト
営業部長兼常務取締役の前野安治さんは、歯科関係のメーカーで販路開拓を担当していましたが、家業に入ることを決意すると、鹿児島の茶問屋で1年間の修業を経て、平成28年に入社しました。
「滋賀に戻ると課題が山積していた」と言う安治さん。修業した茶問屋は全国に販路を持ち取扱量も多い昔ながらの丸安茶業のスタイルでしたが、生産量の少ない滋賀ではこのビジネスモデルは先細りになると危機感を覚えました。
小売店の顧客を奪わないスタイルで、消費者に直接訴求していくことも必要だと考え、マーケティングで培った知識を生かして新商品の企画や、パッケージのデザインやPRの仕方を変えるなど、新たな方向性を模索してきました。「サラリーマンをしていた時は、お客様の反応をダイレクトに見ることはなかったが、ここではエンドユーザーも含めて商品に対する声を直接聞くことができる」とやり甲斐について語ります。
安治さんが目指すのは、今までよりさらにターゲットを絞った「◯◯さん向けのお茶」の提案や、小売店オリジナルのお茶を小ロットで作っていくことなど、横に並んで新たな商品開発を提案するアテンド型ビジネスにシフトしていくこと。
例えば企業の依頼を受けてプロデュースした超微細粉末茶 『Tea*Colors』や、プロテイン入りのほうじ茶や抹茶にとどまらず、軽くて扱いやすい『空気きゅうす』、クラウドファウンディングで制作したオリジナルタンブラーなどの茶器にいたるまで、すでにさまざまな取組が始まっています。
アテンド型ビジネスを支えるのは安治さんが鹿児島時代に培ったお茶を選定・調合する技術を活かして取得した“茶師資格”。
令和3年、テレビ番組の出演をきっかけに開発したオリジナルの日本茶「グロリアス茶」は人気ミュージシャンの好みに合わせてブレンドして大ヒット、人気商品となりました。
持続可能な茶業を続けていくために
コロナ禍により在宅時間が増えたことで、お茶を飲む機会が増え、さらにお茶に含まれるカテキン類の抗ウイルス効果が注目されたこともあって、感染拡大前より消費量が増加しました。
「生活スタイルの変化でお茶を淹れて飲む家庭は減ってきたが、逆に本物の美味しさを求める人、ステイホームを機会に手間暇かけることを楽しむ人も増えている」と安司社長。業界では久々にうれしいニュースであり、同社ではこのビジネスチャンスを活かすため、本当にお茶が好きな人をターゲットにした嗜好性の高い商品開発や、新たな顧客開拓につながる仕掛けづくりをしていきたいと考えています。
その一方で、お茶の魅力を最大限に引き出すため、茶葉だけでなく茎にいたるまで余すことなく利用してはいるものの、それでも発生する規格外品や耕作放棄地の茶園に目を向けることで、茶業の持続可能性についても考えるようになりました。同社では、石川県の大学生と一緒にお茶を使ったクレヨンを開発しています。「産業廃棄物や食品ロスにも思いをめぐらせるきっかけにしたい」と担当している安治さんは語ります。
こうした中、令和4年に創業150周年を迎える同社。持続可能な茶業を続けていく一環として、新しいお茶の楽しみ方を多くの人に伝えられるよう、事業再構築補助金を活用して茶寮の開業を目指しています。「ブレンドを楽しみながら作る私だけのお茶体験や美味しいお茶の淹れ方、料理やお菓子づくりの利用法などを企画提案して、お茶に親しみを持ってもらう空間を提供できれば」と考えています。
さまざまなスタイルでお茶を楽しむシーンを提案
顧客のニーズはつねに変化しているので、“頑なに伝統を守るだけ”では生き残っていけません。伝統を守りながらも柔軟な発想で、お茶をさまざまなスタイルで楽しんでもらえるような製品を提案すると新たな顧客の開拓につながります。
質の高いお茶を製造してきた技術と経験は、パウダー系などの新しい商品にも活かすことが可能であり、これからも伝統的なお茶の楽しみ方をされるお客様、新しいスタイルを求めるお客様、両方をターゲットにしていくことが大切だと感じています。
さらに、生産茶農家の高齢化や後継者不足が課題となっている中で、やり甲斐を感じてもらえるよう、付加価値の高い製品を安定的に販売していくことや茶寮でお茶に関心を深めてもらうことを通じて、業界全体の持続的発展に力を注ぎたいと考えています。
企業データ
本社/甲賀市土山町頓宮267
創業/明治5年(1872年)
従業員/10名
事業内容/製茶、茶の卸売、小売
HP/https://oumi-maruyasu.shop/
企業ポリシー
- 新しい挑戦を続けながら、良質のお茶を製造する技術と日本茶の伝統を守る。
- お茶の魅力を発掘し、可能性を広げることで新たなユーザーを開拓する。
- 業界全体の持続的発展に向け、付加価値の高い製品づくりとお茶の魅力を発信。